1955年(昭和30年) | 四日市の旧海軍燃料廠跡地を石油関連企業に払下げ | |
1956年(昭和31年) | 第一コンビナート建設開始 | |
1957年(昭和32年) | 第二コンビナート埋立て開始 | |
1959年(昭和34年) | 第一コンビナート本格稼働 | |
1960年(昭和35年) | 異臭魚が四日市沖で発生 ぜんそく患者が磯津地区で集団発生 |
|
1961年(昭和36年) | ぜんそく患者が四日市市内に拡大 | |
1963年(昭和38年) | 異臭魚の拡大で「磯津漁民一揆」 国の「黒川調査団」が大気汚染の現地調査 |
|
1964年(昭和39年) | 公害病患者が肺気腫で死亡 | |
1965年(昭和40年) | 「四日市市公害病認定制度」発足 | |
1966年(昭和41年) | 公害病患者が自殺 | |
1967年(昭和42年) | 2月 | 第三コンビナートの誘致・埋立てを市議会が強行採決 |
6月 | 公害病患者 2人目の自殺者 「新潟水俣病」昭和電工を患者が提訴 |
|
8月 | 「公害対策基本法」成立 | |
9月1日 | 「四日市公害病」患者が提訴 第一コンビナート企業六社(昭和四日市石油、三菱油化、三菱モンサント化成、三菱化成工業、中部電力、石原産業) |
|
10月 | 中学3年女子生徒がぜんそくで死亡 | |
1968年(昭和43年) | 3月 | 「富山イタイイタイ病」三井金属鉱業を患者が提訴 |
1969年(昭和44年) | 3月 | 四日市公害裁判 78歳の原告男性が死亡 |
6月 | 「熊本水俣病」チッソを患者が提訴 | |
12月 | 石原産業の工場排水で伊勢湾汚染 四日市海上保安部が摘発 | |
1970年(昭和45年) | 小学1年男児がぜんそくで死亡 | |
1971年(昭和46年) | 6月 | 「富山イタイイタイ病」患者側が勝訴 |
7月 | 「環境庁」発足 四日市公害裁判 38歳原告女性がぜんそく発作で死亡 |
|
9月 | 「新潟水俣病」患者側が勝訴 | |
1972年(昭和47年) | 4月 | 「三重県公害防止条例」改正 硫黄酸化物の総量規制 |
7月24日 | 「四日市公害病」患者側が勝訴 | |
9月 | 小学4年女児がぜんそく発作で死亡 | |
1973年(昭和48年) | 3月 | 「熊本水俣病」患者側が勝訴 |
10月 | 「公害健康被害補償法」成立 | |
1974年(昭和49年) | 「三重県公害防止条例」改正 窒素酸化物及びCODの総量規制 | |
1985年(昭和60年) | 公害患者の52歳女性が焼身自殺 | |
1987年(昭和62年) | 9月 | 「公害健康被害補償法」改正・新規の公害病患者認定を廃止 |
1994年(平成6年) | 公害病の中核・三重県立塩浜病院が閉鎖 |